「自由」
〜4、思考パターン。
だから、型式化されたその内容といったものが深く問われることがない。問われてはならないのである。「型」にはまっていさえすれば、それでよいのである。そうした形式化・格一化であり、思考や行動のパターンといったものが仕分けされ分類別に標準化された、非常ににわかりやすい世界である。 思考や行動で表現される表面的なカタチが重視され(たとえば学歴と資格がそうである)、そしてその内容が問われるといったことがない。つまり、見えるカタチだけでカテゴリー化された世界である。 それ以上、内面に深く立ち入ってはならないのである。「個」というのが壊れてしまう。人間関係といったものが成り立たなくなり、上下の身分関係だけがカーストのように固定され、社会全体から人間的な生きた感覚や発想が失われて消えてしまう。それは仕方のないことであって、だからまた、形式的で表面上のカタチだけにならざるを得ないのである。現実がタテマエとホンネに分離するのもそのためである。。 それは、日本という空間的な狭さがそれを必要とし、そしてまた、島国日本の歴史的同一性といったものがそれを可能にしたのである。 |