「心情」
〜1、舞台。
島であること、同じ血筋の子孫が、同じ場所で、ずっと、同じ生活の仕方をもって生き続けている。隣りも、その隣も、またその隣も。日本列島全体の人間が、みんな、ずっとそうやって生きている。異民族の流出入はほとんど無い。日本は海に囲まれた島なのである。 ヨーロッパの麦耕作と違って、米の水稲耕作は作付面積当たりの収量を非常に高く押し上げることができ、農家の占有耕地面積は非常に少なくて済む。日本の場合は、それをより高度化・集約化したものである。つまり、どういうことかと言うと、人間が密集しているのである。過密なのである。さらに歴史上、遊牧というのが行われず、また出来ず、遊牧は日本の地形上から言っても不可能である。農業と漁業でほぼ固定されてきた。またそれで十分だったのである。 なにが言いたいのかというと、このような人間の間では、お互いがお互いのことを、とってもよく知っているということである。なにも言わなくても、なにもしなくても、おたがいが自分たちのことを何でもよく知っているのである。お見通しなのである。これが歴史上過密状態のままで固定され続けて来た人間同士の、間柄というものなのである。 お互いというのが、なにもしなくても、よく知り合っている。「あ・うん」の呼吸、和の精神、以心伝心の世界なのである。言葉など全く不要な飾りに過ぎないのであって、その場の雰囲気と「空気」でもって、すでにコミュニケーションしているのである。外からの直接の影響を受けることがなく、歴史的に固定され続けてきた、情緒と文化の共通性と均質性がそれを可能にし、そしてその前提なのであり、そのあらかじめ設定された舞台となっているのである |