「桜(さくら)」
〜5、不可抗力。
こうした「いさぎよさ」というのは、日本列島の宿命とでも言えるのであって、それは台風や地震などの、自然の絶対的な不可抗力が、人間の潜在意識に植え付けて来たもののように思える。そして、さらにもう一つ。日本列島の地理的条件、言わば、島という閉じた空間であるということが、こうした「いさぎよさ」に日本的な感覚と情緒を表現し方向づけている。日本の歴史と社会にそうした傾向というものを鮮やかに示している。 「いさぎよさ」のアッサリは同時に、弱者をバッサリ切り捨てる残虐性を内に持っている。そうせざるを得ないし、そうすることによってのみ社会の、言わば、みんなの調和が達成されるのである。バッサリと切り捨てるしかなかったのである。「いさぎよさ」は、そうした無限の苦しみやつらさをも意味しているのである。 それは忘れられた者、失われた者、そして記憶の中からも排除され消えていった者たちである。サクラの花びらが舞い散るのは、そうした忘れられた者たちへの鎮魂の想いであり、だからまた私たちは、それに何か言い知れぬノスタルジーや象徴みたいなものを感じてしまうのである。 文明とは枠であり、その範囲であり、そしてその方向性である。それは精神の境界でもあり、その領域なのである。そして、それにそぐわない者は排除するのである。これが、文明のカタチというものなのである。 |