「罪」
〜1、相性(あいしょう)。
いつの時代、どの地域、いつでもどこでも、そしてだれでも罪の意識はある。人間が生きていること自体が罪なのだから。人間が自らを意識すること自体が罪なのである。 人間が生きて行くためには食べなければならず、食べるとは、生命を、動植物を殺すことである。そうやって、人間の肉体が維持される。また、人間は生きて行くために社会を形成する。社会とは、秩序であり、オキテであり、強制力である。そしてまた、人間同士の上下関係であり、つながり方であり、ケジメであり、サダメである。文明とは「群れる」ということであり、そして「群れない者」を排除するシステムのことである。 社会の中にはどうしてもさからうことが許されない、絶対的な強制力が存在する。オキテであり、シキタリであり、あるいは常識やマナーといったものである。それぞれの社会は、それぞれの社会特有の、そうしたオキテの世界を生きているのである。 それは人為的なもので、そうやって社会が成り立っているのである。そうやって社会が支持され、バランスされ、継続して行くのである。社会とは、そうした秩序、オキテなのであって、絶対的な強制力なのである。暴力による強制はもちろんのこと、文化的・道徳的、そして礼儀や作法などもまた絶対的な強制力なのである。そうやってシツケられ型にはめられてゆくのである。 こうした強制力こそが社会のシステムなのである。従ってまた、そうである以上、このシステムに合わない者、そぐわない者、馴染めない者、相性の悪い者、あるいは不適格な者は、当然のこととして出てくるのであって、これがまた、社会のシステムというものであって、社会のシステムそのものが、そうした不適格な人間を作りだしているのである。 |