「罪」
〜2、必要。
あるいは、「適格」ということ自体が「不適格」を必要としているのであって、そうやって自らを正当化するのである。それ以外に自己の存在理由といったものが見つからないのである。そうである以上、いつでもどこでも不適格な者が存在しなければならず、それは作り出されるのである。文明のシステムとは枠であり、範囲であり、方向性なのであって、そこからの逸脱する者をあぶり出して、または、デッチ上げて排除することによって成り立つ社会なのである。 社会のシステムそのものが、そうした不適格な人間を作りだしているのである。不適格な人間の存在を前提に成り立ち得るのである。だとすれば、それは罪なのであって、どうにもならない、やむを得ないシステムの原理なのである。そうである以上、この社会の中で生きる人間は罪なのである。 社会のシステムに合わない者は排除される。阻害され、追い立てられ、隔離、抹殺、追放される。そうやって、社会は平和を維持するのである。しかし、社会のシステムは歴史上、常に変化している。正義や道徳の概念も常に変化している。魔女裁判、人民裁判、強制(絶滅)収容所、ホロコースト、民族浄化、などといったことは、いつの時代、どの地域にあっても見られるものである。あるいはまた、身体障害者、孤児、混血、さらには出生が卑しいということで排除されたりもする。 こうした世の中の動きやシステムの秩序そのものにも、どこか心の奥底で何か言い知れぬ異和感や罪の意識をいだき続けているのである。自分というのがシアワセであるためには、そうでない者を作りだしているように思えてくるのである。 |