「キズナ(絆)」


〜6、下地。


情緒をおよそ規定しているのは、その文明が始まったときの、生産の様式にあると言えないだろうか。文明誕生の物的根拠となった、新たな生産の様式のことである。以来、それがずっと人間の頭の中を支配し続けるのである。東アジアではこの文明の生産様式(稲作)といったものが、20世紀までずっとそのまま続いており、そしてまた、それがすべてであった。そしてその発想や感覚といったものが、そこから出るといったことがなかったのである。

文明の誕生とは、それまでの民族が、それまでとは何か別の民族になったということである。新たな民族が生成されたのである。あらゆる雑多でわけの解らない、様々な民族の吹き溜まり、掃き溜め、そしてそれらが入り乱れ、混合され、織り合わされ、統合されて、それまでとは何か別の民族を生成するに至るのである。

この別のもの、新たなものとは、それまでとは別の異質なシステム、新たな生存の型式が始まったということである。これが文明であって、それまでの民族とは別の民族へと、質的に大きく変化しているのである。初めそこにいた民族から別の民族へと、統合あるいは分離したということである。

そしてこの新たな民族、その情緒といったものはずっとそのまま続くのである。ちょうど、文明の生産様式が変わらずにずっと続くように。あるいは、生産の様式が変化したとしても、頭の中は、そのもっとも深部の基底、生地の部分、背景を構成しているのは、やはりそのままであって、ずっと後まで続くのである。

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