「キズナ(絆)」


〜5、始まり。


自分の考えよりも、その場の情緒とか雰囲気が優先される。習慣や、だれもがやっている通りに何も考えずに、集団の空気と感情のなかで、自分というのが確かめられ、意識される社会である。と同時に、生活である以上、それは絶えることなく継続され保持されて行かなければならない。上下関係と強制力がそれである。たいていの場合、自分の考えなど持ってはならない社会なのである。

日本語では、雰囲気のことを「空気」と言い表すことが多々ある。自分たちを支配しているのは、この「空気」だというのである。しかし、その意味するところは、この「空気」に向かって、自分を内部から支配し突き動かしている本能や衝動といったもので、そうしたリズムや五感のアンサンブルを指している。要するに、情緒を意味している。集団的情緒の世界を生きている。

情緒とは、この地を数百数千年にわたって生き続けて来た祖先の感覚と生理作用、そして仕草などが、彼らを取り囲む自然環境とともに、彼ら自身の中で最適化され、パターン化され、型式化された神経と生理作用のリズムである。

だからまた情緒は、そこに住む人間のライフスタイルと密接に関係していて、というよりも、情緒はこの現実のライフスタイルから来ていると言える。それまでとは別の、異質で違うものが新たなライフスタイルとして生成されるのである。古いライフスタイルではやって行けなくなって、仕方なく新たな未知のライフスタイルへと方向転換がなされた時である。新たな異質な情緒が求められ、そしてそれが、それ以降、ずっと、続くのである。言い換えると、ここに新たな民族が生成されたのである。そして、新たな文明が始まるのである。

もどる。              つづく。