「キズナ(絆)」
〜4、習性。
意識されることのないままの自然な感情とは、家族の間柄である。理屈でも言葉でもなく、暮らしのなかで、自然に身に着けてきたものである。感じ方、暮らし方、生き方といったものが、それである。こうした自然な関係、法律や契約関係のように、外から自分とは別のものとして入って来るのではなく、例えば歳時記や節句などのように習慣化した習わしや、作法として慣れ親しんで来たもので、道徳やシキタリとして習慣となったものである。 それはまた、自分の情緒とか感情、心の持ち方と一体となっている。だから、それが区別されて意識されることがない。その意味で家族のなかでは人格が曖昧で個性というのが尊重されにくいのである。社会全体の、このような家族のような関係、個というのが理没して、みんなの中に溶けて消えた状態。それぞれが、いつまでたっても自立することのない社会。 これは、戦前戦中の日本社会そのものである。そしてまた当時の、日本の指導者たちの頭のなかを反映したものでもある。人間同士の間で自立した境界線となる人格や自我は有ってはならないものとされたのである。そうしたことが理想とされたのである。 しかし言い換えると、日本の国民性としてまず挙げられるのは、こうした「被統治能力」のレベルの高さなのである。均質でムラが無く、どこへ行っても、だれに合っても、だれもが同じことを考えている。身振りや仕草や性癖・習性までもそうなのである。それはコトバや五感以前の、自分たちを取り囲む「空気」の世界なのである。コトバは不要である。コトバは飾りであって、実体は、この「空気」なのである。 |