「キズナ(絆)」


〜3、空気。


支配と秩序といったものが、法的関係として、あなたと私の関係として成り立つのではない。あなたと私という区別が消滅したところに成り立っている。しかし、正確に言うと、区別が生成される以前の、いまだ、区別の存在しない世界なのである。

だから、法的関係とか、何らかの約束とか、強制としてではなく、かといって自発的なものでもなく、それら以前のごく自然な成り行きとして、始めからあったものとして、自然なあり方として秩序が成り立っている。つまり、それが情緒であり、気分とか気持ち、雰囲気とか空気なのである。

変化というのが無く、あってもならず、時間的に固定した社会である。そしてそれを規制し不変のものとして定めたのが、中国では儒教による身分的祖先崇拝であり、インドでは身分に基づくカースト制度だったのである。

そしてこれが、だれにとっても、もっとも納得しやすい社会のあり方だったのである。個というのが集団の中で溶けて理没している。区別そのものが、個として存在しない世界なのである。そうやって個人というのが、あらゆる精神の苦悩から解放されている。あるいは、それ以前のところで押し殺されている。いまだ個人というのが現れ出ず、人権の概念もない世界である。

もどる。              つづく。