「風土」
〜18、苦悶。
私たちは、「風土」という現実の世界を生きている。それは、そこから生まれ生成されてきた肉体の感じ方や、感覚の生理作用、そして自分自身の内に宿るリズムといったものである。それはまた、風土と一体化した感覚と、呼吸や心拍の共鳴の仕方もそうである。体内を流れる血流のリズムも、肌に触れる感触も、目の中のまぶしさも、ニオイも、音も、またそうなのである。 そうやって無意識の世界の中で、人間同士がつながり合い、求め、願い、そしてどこかへと、いざない、目指している。それは無意識の世界であって、言葉でも意識でもなく、もっと直接の、心臓の心拍や、体内の血の流れ、そして呼吸する息のリズムから導かれ、求められてくる、タマシイ(魂)の叫びや、戦慄、共鳴といったものなのである。 そうやって、魂(タマシイ)がコダマし、響き合い、つながり、そして何かの衝動が音色(ねいろ)となって、心の奥底から聞こえてきて、ささやきかけて来る。まるで、自分の心臓をノックして撫でるように。数えきれないくらいのタマシイたちの雄叫(おたけ)びがアンサンブルとなって聞こえて来るのである。あるいは、夢や、幻や、カゲロウの中に、何かの象徴として映し出されたりもする。まるで、現れては消えてゆく、何かの痕跡の影のように。 それは、自分のなかで失われた記憶なのであって、それが何かの象徴となって現れ、出てきているのである。あるいは、感覚の不具合や錯誤のように映し出されている。自分自身の感覚と記憶は、そうやって、未知の失われた記憶を呼び覚まそうとしているのである。感覚は、それ以外に表現の仕方を知らないのである。自分でもわからないことを映し出そうと苦悶しているのである。そうやってしか、自分を表現できないでいるのである。 |