「変わらないもの」
〜1、排他性。
むかし、世界とはユーラシア大陸、すなわち中国であり、そこから遠く離れたハズレにある海を挟んだ列島が日本であった。間にある海を透かして日本は、世界と直接かかわることなく、世界を見つめ続けて来たのである。世界の中の一員であるとともに、それを拒絶し傍観する立場で見ることが出来たのである。 有史以来、日本が世界(=中国)に学び、自分自身がそうであらんと望み欲したもの、それは日本というのが世界(=ユーラシア大陸)という現実に生きる存在たらんと願い欲するものであった。それは世界のハズレに生きる者にとっての悲願でもあり続けたのである。それを望み、それを欲し、そうであろうと願い続け、そしてまた、いつもそうであり得なかったのである。 大陸(世界)とは常に異質なもの、別の存在として自分を感じ、見つめるしかなかったのである。そうした関係の中で自分を意識してきたのである。世界にとっての自分とは、いつもよそ者、部外者、他人でしかなかったのである。そしてまた、そうであり得ることができたのである。 事実、日本は200年にも渡って他国を拒否する鎖国を実施することのできた実力のある国だったのである。大国の意思に反しても、自らの意思を通すことができた実力のある国だったのである。 海という、日本を取り囲む軍事上の「外堀り」。そして高度な純粋性を誇る世界に類をみない並外れた、ないし非常識な単一民族性。そしてその下で発達した文化とルーツの異常なまでの同質性と排他性。そして、それらのことのすべてが、世界(大陸)から見ると非常に変わった、異様なものに見えてくるのである。日本だけが持つ固有の、異質な特徴や印象、傾向のように思えてくるのである。 |