「変わらないもの」
〜2、変わらない。
画一化され、均一化し、同質化される生活と意識の共通性。そしてそのキズナ(絆)の連帯性・同一性といったもの。そして観念化される共有意識の全体性・一体性といったもの。このような社会の中では、絶対にまわりに逆らえない。失敗した場合の逃げ場など、どこにもないのである。それどころか、逃げることすらもできない狭い「島」の中を生きているのである。 それは個人の肉体的な死を意味する。まったく、その通りなのであって、それは、このような日本の社会の中で生きる者にしか理解の出来ないものなのである。この中で生きて来た者でないと、わからない世界なのである。 でもそれは、やはり、生きた現実なのであって、それがまた、現実というものなのである。それは日本社会の空気であり、水であり、もの言わぬ秩序であり、オキテなのである。それは何かの気配であり、自分自身の呼吸や、血の流れや、何かの触れる肌の感触なのである。ここで生きる者だけが吸うことを許される「空気」みたいなものである。 心臓の鼓動や、呼吸する息のつぶやきやタメ息の音色なのである。あるいは叫びや戸惑いの戦慄なのかも知れない。そうしたことが、自分自身の中から聞こえてもくるし、何かの衝撃として見えてもくるのである。 社会という集団の中で個人が溶けて消えているのであって、それが気配や空気として個を支配し、圧迫し、押しつぶしに来るのである。そうやって、社会というのが成り立っているのである。そうやって、社会が維持され、保存され、そして継続して行くのである。何も変わらずに、変わってもならず、変化のない、いわば、死んだ世界なのである。 |