「別世界」


〜2、再発見。


いずれにしても、人間が現実に見ているのは、現実のすべてではないし、また、人間の意識が作り出したものでもない。現実でも、観念でもなくて、そのどちらでもない、人間の感覚の感じ方の世界なのである。目という感覚が映し出した映像の世界なのである。だからそれは、自然の現実のものでもないし、意識の世界に属するものでもなく、それらとは別のところにある、感覚という現象の世界なのである。

それは、人間が生きている現実の世界といったものが、人間の目の中で映し出されているのである。そうやって人間は自分自身を知り、そして、自分自身を見ているのである。

自分が、自分の目で、自分の目の中を見ている。見えるものを無視して、視覚が視覚自体を感じ取ろうとしている。自分で自分を見ていて、そしてのぞき込んでいる。自分で自分の中を見ようとしている。自分が分裂し、そしてその引き裂かれた裂け目から誰かがこちらを見ている。あちらの世界から誰かが僕を求め、誘い、招いている。自分で自分を見ている。あーぁ、何と気味の悪いことか。

忘れられ、失われた自己がよみがえる。見たくも知りたくもない、そうした自分自身といったものにむりやり気づかされ再発見される。もはや逃げられない。自分で自分を生きて行くしかない。

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