「祭り」


〜2、儀式。


自分で自分を作り変えるのである。自分自身に対するこれまでの、自己認識・自意識といったものが初期化される。そして、ゼロから模索される。自分自身のこれまでの理由と原理といったものが捨てられて、新たな理由と原理が生成される。

以前とは、どこか何か異なる別のものになる。いや、実はそうはならない。そこまでの根本的な変化というのは滅多に起こらないのである。ただ表面上は、少し異なるように見える。外見と表面上だけ、体裁の上だけで違って見えるというのが大事なのである。

ホントはだれも、根本的な変化というのを望まないのである。望(のぞ)まないのに、望んでいるように見える、ということが大事なのである。だれも本質的な内面の変化など求めていないのである。ただ、大義名分として、世間体として変わったと見えることが重要なのである。それだけで十分なのである。

内容や実体など、どうでもよいことなのである。それが「祭り」である。現実でも妄想でもなくて、その狭間の世界を垣間見ているのである。だからまた、そこにながく立ち止まることが許されないのである。だからそれは、やはり、祭りでしかないのである。

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