「理性」


〜1、現れ。


理性は、目に見える姿(すがた)カタチとなって、現実の世界に表現され現れる。だから、現実の中からそれを察して理解し、読み取らなければならない。それがわからない人間は見ても聞いても何もわからない。そんなこと知る必要のない世界に生きているのである。

だから見えるものも見えなくなっていて、反対に、無いものを見ているといって怒り出す。自分の感覚が壊れているだけなのに。壊れているのが正常である、という世界を生きている。だからまた、何も感じないし、見えることもないのである。それが見えてはならない世界を生きているのである。そうやって現実が丸く収まり、悩まず、苦しまず、だれもが楽しく生きて行けるのである。だからそうした社会では、それが見える人間など居てはならない存在なのである。

もしも現実の世界に、理性が現れていないのであれば、それは理性ではないのである。理性は現実に出るしかないのであって、だから理性と言えるのである。現実の中に理性が存在しているのであって、それはまた同時に、自分自身の精神の世界、分裂した精神、自己意識の世界なのである。だからまた、現実に見えてくるのである。見たくないのに見えてくる。見てしまう。見たくないのに、それだけがハッキリした輪郭とカタチを持つものとして、自分に迫ってくるのである。

目次へ。              つづく。