「理性」


〜2、分裂。


分裂した自己の精神を通して世界を見ている。そうやってしか、理性というのは見えて来ないのである。自分というのが現実の自分と、観念の世界の自分とに分裂していて、そしてこのことが、自分が現実世界を意識する場面となっているのである。

そうやって、自分が自分に対峙することによって、自分を客観的に見ることが出来るようになる。そして、自分が自分を客観的に見ることによって、自分の外の現実の世界をも、自分とは別のものであることを知ることになる。と同時に、現実世界というのが自分とは別のものとして感じられてもくるのである。

現実が自分とは別の存在、自分とは別の原理と必然性によって動いている別の存在として感じられ、意識されてくる。また、そのように意識することが自分自身に求められ、そうした「必要」の存在する世界を私たちは生きている。必要とは、それが自分と現実世界とのかかわり方なのである。

このようにして自分が生きている現実の世界といったものが、捉えどころのない混沌としたバラバラな世界の中から、様々に関連付けられていって、仕分け分類され、整理され、あるいは一般化されたり、あるいは類推や比喩としてカテゴリー化されたりする。あるいはまた、何かしらの「例え」として記憶されたり、または抽象化されたり、あるいはまた、印象だけが切り離されて失われた記憶の痕跡として残っていったりもする。

戻る。              つづく。