「理性」


〜3、秩序。


そしてまた、それらがどこかで繋(つな)ぎ合わされ、秩序づけられ、押し広げられていって、そして同一の原理の下で理解され、あるいは知られたりもする。このような、自らの観念の世界での働きといったものが「理性」ではないだろうか。そうやって人間は世界を知り、自分自身というものを知るのではないだろうか。そしてそれは先に述べたように、自分自身といったものが、現実の自分と、観念の世界の自分とに分裂した結果ではないだろうか。

それは、現実に生きている自分から切り離されたところで、自分が自分に対峙して、対立し、分裂して、そして問い続けているのである。そしてまた、そうしたところでしか、自意識や理性といったものは生まれて来ないのである。

そしてまた、こうした理性といったものは、「重力」や、「光の明暗」や、時間の長さや、空間のサイズのように、いつでもどこでも当たり前のように付いて回る。だから、「理性」とは本来的に秩序であり、そしてこの秩序の意味や理由といったものではないだろうか。そしてまたそれは、同時に、自分自身の存在の理由や意味とも密接に関係しているものでもある。

戻る。              つづく。