「理性」


〜4、必然性。


目に見える自然の表面的なカタチと動きの中から、それをカタチ作り動かしている原理と必然性を見ているのである。原理が見えてくる。人間にとって、理解できる理性といったものが、現実の自然の中に見えてくる。それはまた同時に、自己分裂した自意識の世界でもあって、自己の精神の分裂が、自分で自分の心の中が見えるようにしているのいである。自分で、自分が意識されている。キモチワリ―。

しかし、それなくして、理性は自然の中から見えて来ない。分裂した自己が、自分自身の精神を見ているのと同時に、自分の外の自然を、その合理性や規則、必然性に基づいて見ているのである。どのように見ても、そのようにしか見えない。なぜなら、このような合理性や必然性なしに自然は理解もされず、意識されることもなく、自分とは別のものとして自分と対峙することがないからである。

これが自然の「理性」である。自分自身が心の中で感じているのと同じことを、外の自然に見ているのである。そして、自然はそれに答えている。法則や必然性や原理といったものが、それである。自然のなかに隠れて見えなかったものが、見えてくるのである。自分自身の中にある理性の力によって、世界が理解され、知ることが出来るようになるのである。

自分で自分の心の中を、のぞき込んでいる。得体の知れないもう一人の自分に、呑まれ、吸い込まれて、食べられてしまいそうなので、ここからさっさと逃げなければならない。それも何気なく、さりげなく、何事もなかったかのように。でないと、まとわりついて、取り憑かれることになる。自己と他者の境界線が破壊され、自分が他者に呑みこまれそうになってゆく。だから、深く考えてはならないし、さりげなく無視して、離れて、忘れなければならない。何事もなかったように。

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