「霧の中」
〜2、底なし。
それが何なのか、明確な輪郭も、カタチも、あるいは原理や、実体もわからないまま、自分が感じたままを表現してゆくしかないのである。だからまた、わからないというのは当然なのである。なぜなら、それはいままで無かったものだからである。現実に無いもの、知らないもの、未知のものを表現のしようがないのである。 にもかかわらず、それが意識され、自覚もされているのである。隠しようがないのである。例えるなら、にごった水の中に何かが沈んでいて、浮き上がろうとしている。水の外からはそれが見えずに、何かが浮かんで来ようとしていることだけが、ハッキリとわかるのである。それがうれしいことなのか、恐ろしいことなのか、それ以前に、それがいったい何なのか自分でもわからないのである。自分の中で起こっていることなのに。 だから、自分で考えて、自分で見つけるしかない。これがまさしく、自分自身というものの、得体の知れない、底無しに不明な人間の正体なのである。自分が見えない、霧の中で薄ぼんやりと消えている。自分がだれなのか、自分でも分からないのである。だから、自分は自分で見つけてゆくしかないのである。 |