「家父長制」


〜2、無意識の心情。


それは、まだ人間が、自然状態のままなのである。まだ自然な感情の、生理や感覚のリズムの延長線上に社会が成り立っている。それは意識も自覚もされない自然と一体となった、そして、自然のままの無意識の感情の世界である。

もちろん、それが良いか悪いか、正しいかそうでないか、というのは全く別の問題である。むしろ、このような状態は、人間を隷属と屈従へと拘束するものでしかないのである。イヤ、むしろ、それがための自然な感情となっているのである。固定し、安定した、変化のない状態のまま持続して行くのである。

隷属と自由の放棄こそが、その目的となっている。その目的とならざるを得ないのである。何も考えず、理解もせず、知ることもない。それが、こうした社会にとっての永続の条件であり、オキテであり、幸福なのである。死ぬも生きるも、自分のことを自分で責任を取らなくて済むのである。

隷属と自由の放棄とは、このことなのである。つまり、これが人間にとっての、自然なままの状態なのである。自分自身に対する意識も自覚もない、自然なままの状態。自然から抜け出ることのない、自然に支配されたままの世界なのである。「家父長制」とは、このことなのである。人権もプライバシーも、人格もない世界である。

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