「情緒の世界」
〜3、届かない世界。
人間の活動を制約する最も基本的な条件として、地理的条件と歴史的条件が上げられる。一つは、人間が生きて行くための現実の活動であり、もう一つは、そうした活動を秩序づけ、保存し、維持し続ける、意識されざる社会のシステム、習慣やシキタリといったものである。 しかし、そうだとすると、人間を包むこの空気ないし気候といったものは、どう理解したらよいのだろう。たしかにそれは、地理的条件とも文化的・歴史的条件とも異なるものなのである。それはむしろ、人間の体内にある生理的で生物的な作用なのである。 第一にそれは、直接、人間の対内に入ってきて、常に、人間の肉体と作用し合い、溶け合っている。第二にそれは、意識されないものである。というよりも、意識することが出来ないものである。 それは人間にとって見れば、触れたり、動かしたり、見てみるといった、自然のものではないし、かといって、あるいは、上下関係に基づくシキタリやオキテ、習慣といったものでもない。それは人間の意思の力で否定したり、選択したり、あるいは新しく作り出すといったことが出来ないものなのである。拒絶することも、逆らうことも出来ない不可抗力なのである。それが人間を取り巻いて支配している、生理的な「空気」の心情といったものなのである。 だから、意識したり自覚したりすることもないし、また、意識すること自体が無意味であり、そしてまた、その必要もないのである。だからまた、上に述べた地理的・文化的条件とは異質な別のもの、別の要因なのである。 それは自分の外にあるものではなく、かといって意識したり、目や指先で感じるといった自分自身の感覚の感じ方でもなく、自分の内部にあって、にもかかわらず、自分の意識の届かない世界なのである。 |