ヨーロッパのの起源(古代ギリシャ) p22
「融合」
自分というのが変わってしまった。なによりも自分自身の精神のあり方、すがたカタチ、原理や思考のパターンが変わった。それが目に見える形(カタチ)となって、現実の世界に見えて来るのである。見い出されるのである。気づき、知り、そして理解されてくるのである。
忘れていたことが思いだされ、気づかなかったことに気づき、いままで見えなかったことが、よく見えてくる。しかし、それはただ、自分が見ようともしなかったし、見えてもいなかったし、それに気づきもせず、見向きもしなかった事ばかりである。そうして、いままで無意味で、自分とは関係のないことのように思っていたことが、とっても大事なことばかりのように思えてくるのである。それらが自分にとって何よりも大切なことのように思えてくるのである。
現実が、それまでとはまったく別の意味を持つものとして、自分に迫ってくる。当然である。自分自身というのが変わってしまっていて、自然とのかかわり方、感じ方そのものが変わってしまったのだから。そうした自分自身の感じ方の変化といったものが、自然や、社会の秩序、合理性に対する、再発見となって見えて来るのである。自分自身が、いつの間にか猜疑心のかたまりになっているのである。自分自身に対しても、また、他人に対しても。おどろき、たじろぎ、ためらい、とまどい、恐れおののき、そしてまた、そうして自分自身に愕然としている。
美しさとは、そうした、みじみずしくセクシーな感じ、あり方なのであって、そうして現れ出たばかりの清楚な精神が、自然と精神との純粋な合一、肉体とタマシイが一体化した形(カタチ)として表現されたのである。自己と精神とが、まったく新しく異質なものとして、再発見され親しく融合している。自分自身が、まるで別人のように思えてくる。自分というのがめざめ、自分自身で歩み始めたのである。それはある意味、過去との決別であり、歴史の断絶であり、空白であり、そして新たな始まりだったのである。
戻る。 続く。
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