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ものの輪郭とカタチは、表面に当たる光と、そしてそれが落とす影との境界線で表現される。いわば、白黒の線画の世界である。そしてその姿は、内面を映すものとしての表面の模様と色、そしてその陰影で表現することが出来る。 表面の白黒の輪郭線は、外の光によって照らし出されたものだ。もの自体の内部が映し出されたものではない。外の光に反応して中から、自分というものの中からそれに呼応して、反射して映し出されたものではない。あくまでも表面的で外面的なものである。 もの自体の内部は色で表現される。色は中から出てきたものだ。それは「色」として映し出されてくる。色はものの個性なのである。色はそのもの固有の性質・特性・個性の現れである。 この「色」対して、ものの明暗・陰影・光と影といったものは、すべての物体に共通のもので、もののカタチを光の強弱と明るさ暗さだけで表現している。二次元的である。それはやはり、点と線で出来たカタチの延長に過ぎないのであって、同じ基準でもって、異なるカタチを表現しているにすぎない。だからやはり、二次元的なのである。二次元座標上で位置と強さと方向でもって表現しうるものなのである。 しかし言い換えると、だからまた、中身が見えてくることがないのである。従って、それぞれの異なるカタチの中身、個性や特性といったものはは無視される。また、中身を無視することによってのみ、それはカタチとして表現できるのである。しかし、中身とは個性であり、内容なのである。 目に見える外見上の点と線で表現されるカタチないし輪郭というのは、個性を無視した表面上のカタチに過ぎないのである。だからまた、こうした外見上のカタチだけでは、その中身は何も見えてこないのである。カタチに隠れて中身が見えない。 しかし、まただからこそ、個性ある異質なものを、カタチある共通の基準と尺度でもって表現できるし、また比較したり、たがいに関連付けて秩序ある理性的なものとして理解することが出来る。 |