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5 風土。



民族の文化は、そのシステムの歴史上の転換点において、そうした民族の個性や情緒といったものが、その対応の仕方や、それが目指す方向といったものを、より強く、鮮明に規制し方向づけているように、思えてくるのである。あるいは、際立って印象深く見えてくる。あるいは、そう感じられてきて仕方がない。

そうした、民族というあり方の根源にあるもの、個性とか、特徴や特質といったものを生み出し、優しく、おだやかにつつみ込んでいるのが民族の「情緒」といったもであり、それなくして、あるいはそれに逆行して逆らっては、なにも成し得ないのである。

それは、自分で意図して生まれるものでも、何か目的をもって作りだされたものでもなく、また、作れるものでもなく、民族というのがその下で生れ出てきた風土、歴史的・自然的条件がまさしくそうなのである。

人間の感覚といったもの。それがもたらす、特有の生理作用といったもの。立居振舞いや仕草、そして心理的反応といったもの。そして、それが指向するところの方向性と原理、秩序や規則性といったものは、やはりその民族特有の何かがあるように思えてくる。

それはちょうど個人が、それぞれにおいて長所や短所、才能や欠点、得意不得意の分野があって、そうしてそれぞれが異なっているように。そしてそれが、もしも個性というのならば、歴史上の民族集団といったものも、それぞれに個性的であると言えないだろうか。

そして、それを方向づけ、条件づけているのが、民族が生成されて来たところの自然的条件なのである。そして。これを歴史的に見るならば、自分自身の中で生きている情緒的特性、タマシイといったものではないだろうか。そして、これを私たちは、自分自身の感覚の感じ方の中に見ているのである。

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