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7 前提。



すべては、この外的自然と内的精神の接点のところで始まり、そこを源(みなもと)にしているように思えてくる。それでは、感覚そのもの、感覚それ自体は、自分のことをいったいどのように感じているのだろうか?感覚の正体、その実体とはいったい何なのだろうか。これこそが、情緒とか感情の生まれる場所であり、また、その文明の特性を決定づけている、意識されざる指向性といったものなのである。

あるいは、民族ないし文明のシステムや歴史の中にあって、それらを規制し方向づけている原理といったものなのである。文明の輪郭を形づくり、他の文明と区別されるその文明特有の特徴といったものをカタチ作ってるのである。そしてそれを、自らの内的原理として、自己同一であり続ける、そうした主体なのである。自分が、自分のもとにあって自分を律して行く、そうした存在なのである。

そして、そうしたことのすべての、現実の前提を成しているのが、その民族に取り巻いて、その民族を成り立たせている、自然的・歴史的条件なのである。他の言い方をすると、その民族が依存する、外的自然環境であり、内的精神文化の歴史的特質なのである。この存立の基盤を離れて民族は存在しないし、また、この現実の地平の中にのみ文明ないし民族は、存在し続けることができるのである。

また、この地平を離れて民族という概念は成り立たない。それは、環境としての自然と、歴史の産物であり、そしてその存在の仕方なのである。民族の生き方やシステム、そしてその成り立ちも、こうした風土的(自然的・歴史的)特性を条件として、初めて成り立つものなのである。

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