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たしかにそれは、自分にとって見れば、まったく身に覚えのないことで、得体の知れない、正体不明の、わけのわからないものなのである。そうとしか言いようのないものである。にもかかわらず、自分でも抑えきれず、コントロールできない衝動として、自分に迫って来て、突き動かすのである。それは自分でも、どうにもならないものなのである。 しかし、そうしたことは十分に説明できる。そうした、神々の現れ出る場面といったものは、かなりの程度で予測できる。 精神の闇の底から押し出されて浮かび上がってきたもの。あるいは、天上のかなたからヒラヒラと舞い降りて来て、風や雲の切れ端となって、つながって、それが何かのイメージとなったもの。心の中のわけのわからない何かが、姿を変えて、それとは別の印象や、象徴として、あるいは暗示や示唆するイメージとして、夢や幻の世界に映し出されるのである。 あるいは、現実世界のカゲロウや蜃気楼の陰の中に、何かの象徴やイメージを見ている。その陰のなかにある何かに誘われて、そして、それを暗示し、示唆する模様やパターンを見ているのである。あるいは、吹雪や霧の中、深夜のイナズマ、月明りの下の水辺に映る自分の姿に、それを見ている。 空間がゆがみ、ゆれて、引き裂かれた裂け目がつながり、広がっていって、そしてその中から、何かのイメージが浮かび上がってくる。そうやって、現実の世界というのを、夢とマボロシの中で生きているのである。覚めることのない無意識の世界で、自分の心の中を見ているのである。 |