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現実から受ける印象、見るもの聞くもの触れるもの、その感じ方や、それが象徴するもの。それらが、無意識のうちに情緒のなかに入り込んでくる。感じ方や感情のあり様が、気分や気持ちとして反映される。 なにげない、ありきたりの、どこにでもあるような、そんな日々の暮らしの中の、身振りや素振り。呼吸する息のリズムや、体内を流れる血液の抑揚や調和もそうである。あるいは方言が持つ言葉のイントネーションもそうである。 その場の雰囲気や空気もそうである。これが「情緒」といったもので、日常のしぐさや、作法や、習慣として表現されている。あるいは、そうした仕草や習慣の源となっているように思えてくる。日々の生活のパターンや、感覚的な身のこなし方がそうなのである。 そうだだとすれば、こうした肉体の感覚の源泉となっている自然環境や、そして自分自身の感覚そのもの、あるいは肉体の記憶とでもいったもの。いいかえれば、自分の肉体の風土的特性とでもいったものが、すべての根源にあって、それが人間を制約し規制し続けているように思えてくるのである。そしてまた、それが「情緒」の実体のように思えるのである。 |
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