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他人とは違う自分自身の理由や必然性といったもの、そうした自己の精神の領域といったものが、自分自身に意識されてくる。そうした、自己と他者の間をなかだちしているのが生理的情緒である。それは、自分と世界とをつなぐ架け橋である。ちょうど、人間に空気が必要で、サカナに水が必要なように。 それは、私たちの目には見えないけれども、絶えず揺れ動き、うつろいながら私たちを包んでいる、たとえば「空気」のようなものである。目にも見えず、意識もされないけれども、それなくしては生きて行けない、とっても大切なものなのである。そして、すべてはそこから始まっているように思えてくるのである。 たしかに、こうした生理的情緒といったものは、気まぐれ、気分しだい、思いつき、自分勝手そのもので、偶然とわがままだけが支配している。しかし、そうした気まぐれな偶然といったものは、個人レベルで情緒を見た場合であって、そして、もしもそれを社会全体のレベルで見ると、まさにシステムの必然としか言いようのない、現象である。 |
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