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様々な個人の気まぐれと偶然、そしてその気分や感情表現、さらに情緒的特性といったものは、徹頭徹尾その時代とその社会のシステムの結果として現れている。あるいはそれらを条件にして、それらの土台の上に、そしてそれらの原理や秩序の必然の結果として形成され、そしてそれがその社会、その時代の特有の情緒のあり方として維持されているのである。そしてまた、それが保存され継続されてゆくのである。これが、生きている人間の現実であり、そして時代というものではないだろうか。 そして、それを条件づけているのが、風土なのであり、言いかえると、その民族が生きている、そして生きてきた自然環境なのである。 そしてもう一つは、民族が、自己の肉体のなかに宿っている、祖先の記憶としか言いようがないのである。そしてこの記憶が映し出され現実にの世界に現れたのが、文化や社会といった人間関係ではないだろうか。 その意味で、風土としての「情緒」が、社会のシステムを作り出したと考えるべきかも知れない。民族がその下で生きて来た自然環境と、そのなかで形成されてきた情緒といったものが、社会のシステムを作り出したと考えるべきかも知れないのである。 情緒にしても、社会システムにしても、そしてまた、それらの舞台となった自然環境にしても、それらは本来、一体のもので、分けて考えることができないものなのである。そしてこうしたことが、私たち人間にとっての、無意識の善悪の判断基準の土台にあるのではないだろうか。 |
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