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4、常識。



だからまた、たとえば「春かすみ」が、黄砂が原因であるかのように思えてくるのである。テレビと新聞が、黄砂であると主張しているからである。それが、この社会の約束なのである。テレビとか新聞といった権威が、「黄砂が原因」というならば、それは黄砂なのである。黄砂であろうとなかろうと、関係なく、それは黄砂なのである。黄砂でなければならないのである。黄砂であるはずなのである。

白でも黒になるし、黒でも白に見えなければならないのである。実際には、だれもそこまで考えたりしない。白でも、エライ人が黒といえば、黒なのであって、それ以外にないのである。これが常識であり、正義であり、オキテであり、社会のならわしなのである。オトナになるということである。

私たち人間は、ずっとそのように教えられ、しつけられ、鍛(きた)えられ、あるいは褒められ、あるいはカタワにされたり、殺されたりしてきたのである。自分の考え、自我とか自意識などといったものは、持ってはならないのである。これが社会の法律であり、秩序であり、前提なのである。日本社会、そして韓国・中国の際立った特徴なのである。破壊的で自滅的な儒教倫理が支配する世界なのである。

戻る。           続く。

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