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3、いましめ。



では、いったい何が言いたいのかというと、つまり、実は、そうしたことが感じにくくなっている、ということなのである。人間というのが自分の感覚器官とか、自分自身の経験といったものをアテにしたり、信頼したりしなくなった、ということなのである。そうした必要もなくなって、それがムダなことのように思えてくるのである。そして、そうした自分というものに気づくことも、疑惑を感じることもなくなった、ということなのである。

人間が生きている景観とか、生活環境といったものが、コンクリートとアスファルト、そしてエアコンなどによって、自然から切り離されている。自分の身の周りにあるものの、ほとんどすべて。そして、自分自身のライフスタイルといったものもそうである。自分自身の感覚や考え方、生き方や思考のパターンにいたるまで、そうである。なにも気にならなくなっている。

そしてさらに、自分自身の経験や記憶といったものまでが、それらすべてのことが、何も気づかなくなっている。気づいてはならない世界を生きている。本来、自分自身に属するものであるはずの、すべてのことが、だれか見知らぬ他人によって意図され、計画され、お膳立てられた舞台の上で演じられている、そう思えてくるのである。

そうやって、私たちは安心して生きてゆくことが約束されるのである。そして、これこそが現実であり、世の中というものなのである。そしてそれが快適で心地よいとされるのである。そうした暗黙の了解、決めごと、戒(いまし)めと約束の上に、社会が成り立っているのである。これが世の中の仕組みというものなのである。

戻る。           続く。

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