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6、迷信。



疑うということを知らない。
またそれを、自分で確かめようともしない。だからまた、外面だけが求められて、限りなく極端な表情や仕草だけが強調される。そしてそれに比例して、内面といったもの、自分の精神といったものが限りなく虚ろで、ぼんやりしたものになってゆく。自分というのが、理由のない存在のように思えてくる。理由などあってはならないのである。だからこそ、さらにいっそう、外面だけが強調されてゆく。そうする以外に、自分を確かめる方法が無いのである。

そうしたことは、たくさんあるというよりも、世の中自体がたいていそうなのである。自分自身の肉体の感覚器官や体験、そして実際の記憶から離れたところで、自分の感覚や意識、ライフスタイルが成り立っているのである。見るもの、触れるもの、聞くもの、すべてがそうである。要は、ただ言葉の上でそうと知っているだけで、実際の
ところは、なに一つ知っていないのである。にもかかわらず、知っていると確信し、そうであると信じて疑わない。

そうした架空の迷信の世界を生きている。実際の現実とは離れたことばだけの、理屈だけの世界を生きている。それでいて、自分は何でもよく知っていると思いこんでいる。あるいは、そう思い込まされている。「偉い人」の言うことはよく聞いているし、本もよく読むし、教養番組もよく見ている。だから自分は、きっと正しいはずなのだ。
この世に生まれたときから、ずっと、そのようにシツケられていて、それだけしか知らず、とってもスナオなのである。疑うことを知らないのである。

戻る。           続く。

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