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本当は、肉体の五感以外に、まだ気づかれていないというだけの、ほかの感覚もあるのかも知れない。それにまた、複数感覚のアンサンブルみたいなものが、それとは別の何か異質な未知の感覚を作り出しているのも事実である。直感とか第六感といったものがそうである。場の「空気」とか、雰囲気といったものもそうである。あるいはまた、本能とか衝動といったものも、たしかにそうした異質な感覚が作用しているようにも思えてならない。 × × まず、ことわっておかなければならないのは、感覚の五感といったものは、それぞれが単独で感じられることは、まずないということである。それらは常にいっしょにやってくる。いっしょに感じられているのであるが、もっとも印象に残るものだけが、感覚の記憶として残っているのである。 感覚というのは、視覚・聴覚・嗅覚・触覚・味覚のことであるが、それらがいっしょになって、というのは、人間は自分の身体全体で何かを感じている、ということである。つまり、すべてのどの感覚にも、その感じ方それぞれにキッカケや動機、理由といったものがあるということである。 それが、空間の中を時間的に始まり、そして変化して消えてゆくのである。つまり、なにかを感じるというのは、そうした場面ごとの、瞬間のことなのである。時間の流れの中での、瞬間的に切り取られた一コマにすぎないのである。そしてその中のもっとも印象的なものだけが記憶として残っているのである。 |
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