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4、必然性。



では、いったいどのような組み合わせ、あるいは様式といったものが美しく感じられるのだろうか。しかしまさに、そうしたところが、民族ないし種の情緒的特性といったものではないだろうか。

それは、民族が生きてきた自然条件や記憶と一体となったもので、その下で数百数千年にわたってカタチづくられて来た、情緒や感じ方の特性といったものではないだろうか。それが指向する、無意識の必然的な傾向といったものではないだろうか。

そして、それは同時にまた、人間の感覚器官のすべて、その感じ方や意識の様式、そして行為の仕方や作法、ものの考え方にいたるまで、それらすべてを規制し方向づけているように思えるのである。まるでそれしかないように。これは必然なのであって、人間を取り囲む時代と現実の世界といったものが、すでにそれ以前のところで人間の生き方というものを規制しているのである。

それは、意識されることのない、情緒や情感といったものである。そしてまた、民族ないし種としての必然性、原理とでもいったものなのである。民族がその下で生き、形成されてきた自然環境や感覚の感じ方、情緒といったものものなのである。本人にとって気づくことのない無意識の気質や気性といったものなのである。

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