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それは、感覚の感覚といったもの。肉体の記憶とでもいったもの。意識されることのない無意識の情緒、とでもいったものである。 たとえば、視覚はどうだろう。 目という感覚が、感覚自体でよろこぶ感覚とは、つまり、コントラストの明暗と色彩の諧調の豊かさである。そしてそれがまた、様々に、色彩として時間的に変化してゆく優雅さ、とでもいったものである。 明暗と色彩の諧調とは、人間の目が感じることができる、明るさと色の豊かさのことであるが、ただたんに、まんべんなく見えるというのが、美しく気持ちがよいというのではない。明暗と色彩が組み合わされて模様となり、印象になって、調和し、アンサンブルとなって、言わば、かなでられて、目のなかで映し出されるのである。それが美しく感じられるのである。自分自身の情緒の世界を作り出しているのである。そうしたリズムとでもいたものが、自分にとって気持ちよく楽しく感じられるのである。 |
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