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世界をおおい尽くす白い光のまぶしさは、目という視覚器官の限界点であり、それを透過した向こう側に、現実とは異なる別の世界を見ている。けっして届くことのないあこがれや希望、そして祈りの世界である。 まばゆい光の強さに、目に見える現実世界のなにもかもが、すべてが吸い込まれていって、そのなかで自己の精神の世界を見ている。イヤ、それはただの妄想とか幻なのかも知れない。しかし、たとえそうだとしても、それは自分の精神がつくりだした幻想なのである。 自分は自分の都合で生きている。そして自分というものにも、神聖にして侵すべからざる精神の領域といったものがある。人格というものであり、自己意識とか人権とも言われている。 自分は、他人と区別される自分のものであって、自分だけがそれに責任を負うことができる。自分は他人と区別される独自の、自分にしかない、自分だけの理由や、必然性や、自律性といったものがある。 現実の世界で、たとえ他人に支配されるされることがあっても、結局は、こうした内面の、精神の世界において自分が維持され、保存され、継続している。またそうしてのみ自己が自己であり続けるのである。精神の領域において自己というのが自由であり続けるのである。つまり、自分というのは、そうした自己同一であり続ける、自立した主体なのである。 |