index < 日誌 < v夢の中< 「指向性」p6 |
しかしそれは、イメージという形式をとらない場合もある。たしかに心のなかで何かが浮かんできているのだが、はたしてそれが何なのか自分でもわからないのである。だからイメージという「形」をとり得ないのである。しかし、それにもかかわらず、やはり、なにかが浮かんで来ている。 しかしまた、それが、現実にあるものとか、どこのだれそれと特定できるものではないのである。それがなんらかのカタチとして、判別できないのである。それでもやはり、なにかが浮かんできているのである。形なきイメージとして。姿なき誰かとして。 ハッキリそれとわかるイメージにはならないけれども、それを示唆し、暗示し、いやおうなく誘導してゆくような、そうした心情的なイメージ、ないし、本能的な衝動として。ものとしてのカタチない、観念的なイメージとして現れてくるのである。それがまさにマダラ模様の、姿カタチも色もない明暗だけの、常に揺れ動き、移ろうだけのマダラ模様なのである。 |