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6、導き。



だから、自己というのが、自分の本来あるべき姿を求めて、さ迷っている状態なのである。つまり、外(そと)へ出て行かなければならない。越えてはならない一線を越え、境界線を乗り越えて、殻を打ち破って、外へ出て行かなければならない。それ以外に、無いのである。

そして、それを強烈に示唆し暗示しているのが、イメージなき夢の世界。目を閉じたときに見えるマダラ模様の世界。どこへ行くアテもなくさ迷い続ける、内閉的であいまいな、一人ぼっちの世界なのである。

しかし、それでもなお、なんらかの指向性とでもいったものが残っている。本能とか本性とでもいったものである。自己の原理とでもいったものである。それが無くなれば、自分と他人の区別がなくなって、自分が自分で無くなってしまう。だからそれは、自分が自分であることの証明のようなものなのである。そうした「何か」が、残り続けるのである。

それは、自分自身のなかにある指向性のようなもの、あるいは、自己のなかで生き続けている「必然性」とでもいったものである。自分は、自分であることを止めるわけにはいかないのである。それは、自分が自分であることの証明なのである。歴史的にも、文化的にも、そして肉体的にも。時間的にも、空間的にも、そして現実的にも。

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