index < 日誌 < ak春< 「早春」p4/ |
早春の頃の、冷たさのなかの暖かさというのは、のぞみであり、願いであり、祈りなのである。そしてそれを、目の前の現実に垣間見ているのである。早春の日々というのが、冷たさから暖かさへ、死から生へと移行して行くのを、身体が知っているのである。これが、風土がもたらす「情緒」といったものではないだろうか。 外の自然環境と、人間の身体と、精神が共鳴し、交流して、本来、別々のものであったのが、ひとつなってコダマしているのである。その根源的なところでつながりあって、ささやきあっているのである。もしかすると、それらは本来、もともと同じものだったのかも知れない。そう思えてくるのである。 まるで風のささやき、泉のせせらぎ、森のざわめきのように。人々をつつみ、いだき、そして誘い、どこかへと導いているように思えてくるのである。そしてそうしたことは、もともと、人間の精神の根源にあったもので、それが何かのハズミとキッカケで表に出てきてしまったのである。目に見えるカタチを求めて。自分が何であるかを探し求めて。 |