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はたして、なぜそうなのかというと、そうした、移り行く四季の世界を私たち日本人は生きている。だから、そう言えるのである。他のいい方をすれば、そうやって自分自身を見ているのであって、自分をたしかめ、自分を自覚するのである。そして自覚してきたのである。それは、日本人の無意識の世界なのである。移りゆく四季の変化のなかに、自分自身を見ているのである。数百年数千年をそうして生きてきたのである。 移りゆく四季の変化のなかに、あきらめや忍耐、あるいは希望やよろこび、悲しみや憂いといったものを感じ、そして見ている。心の動きや感情の変化を見ている。そしてまた、それを予感し予測しながら生きている。日本の自然と四季そのもが、それを求め、誘い示唆しているのである。 そうした、心の変化と移ろい、感じ方や心の受け止め方といったものが、外の自然と一体となって人間の感覚や生き方を支配しているのである。情緒の起伏やリズムといったものがそうなのである。 鼓動する心臓の律動。呼吸する息の間合いや強弱。体内を流れる血流の抑揚と起伏。あるいは、話す言葉のイントネーション、そして顔の表情もまた、そうなのである。あるいは、限りない欲望や、底なしの嫌悪感もまたそうである。 ふだんは意識されることのない、そうした自分自身のなかにある生理と感覚のあり方が、人間を支配し、制約し、条件づけているのである。そして、それが指向する傾向もまた、そうなのである。 |