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世界全体をこのカスミがかった主蒸気が覆う。それは、限りなく透明に近い白色の世界である。それは空気の色である。そしてこの、空気の色が人々を支配している。どうにもならず、どうしょうもなく、わけも分からないまま惹かれて行くのである。自分というのが、意識されることのないまま、白い色に呑み込まれて行く。空気が世界を支配していて、そしてこの春の日の空気の色が「シロ色」なのである。 シロ色の空気は、大気中にただよう水の色、生命の始まりの色、穏やかな春の陽気がもたらした、空気の色である。この限りなく薄いしろ色の空気を通して、私たちは世界を見ていて、そして世界とかかわりあっている。それはまさしく、自分自身の精神のあり方であり、それを包んでいるものであり、自分自身の情緒そのものなのである。 春の日々の空気の白さは、これから開き、広がってゆく、少しまぶしく明るい白さの色である。まばゆい、触れる肌のここちよさの中で、自分が世界のなかへ同化してゆく。そんな優しく親しげな明るさである。 これに反して、例えば秋の空気の色は、灰色混じりの透明な青さ、ないし薄灰色であって、透明で遠ざかってゆくような、そして閉じて沈んでゆくような、そんな色である。 水色は秋の空の色でもあって、乾燥していて透き通るような薄い青色である。そしてまた、夏から冬へと弱くなって陰り行くゆく太陽の光の灰色でもある。それは灰色まじりの水色の世界である。だから理知的であっても追憶まじりの、何かを省りみて仰ぎ見るような色である。と同時に夏の記憶の薄れゆく、そんなやるせない色でもある。 |