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春カスミを毎日見かけるのは市街地ではなくて、郊外である。もっと正確に言うと、野原とか山々、川岸などである。なぜか? 地表から大気中に水分が供給され続けるからである。植物がおおう、湿って、じめじめした山野から、水分が供給され続けるからである。だからほとんど一日中、風景というのが、かすんで見えて、とばりの中でモヤがかかったように見える。 まず、直射日光の当たる場所に弱いキリ(=強いカスミ)が発生している。これが日光の角度と、弱い上昇気流によって、移動しながら、地上を覆っている。これが春カスミの正体である。キリというほどの濃いものではないが、地上の景色がうすぼんやりと、かすんで見えるのである。非常に薄い雲が、地表面上に立ち込めていて、フタをして覆っている状態なのである。 人間の目と景色とのあいだに何かが入ってきて、うすぼんやりと閉ざしている。風景全体が少し白っぽく見える。人間の精神の中に、何か白い半透明のものが入ってきている。白とは、水であり、生命でであり、そしてまた、春の日の、おだやかな太陽の日差しなのである。 そしてそれは、自分の肌に触れる、ここちよい、優しげな肉体の感触なのである。それは自分自身の肉体がおぼえている、優しげな春の日々の記憶、意識されることのないまま受け継がれてきた、肉体の記憶なのである。 |