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5、白いカスミ。



このような、市街地での霧の発生時は、たいてい風がない。よどんだ動かないキリであって、キリがよそから移動してきたものではないことがわかる。市街地を覆っている空気そのものの中から、キリが発生している。風があるとキリはすぐに拡散して消える。

それは、南の海で発生した湿った暖かい空気がもとになっていて、それが北上して、日本列島の特に晴れた日などに、放射冷却で冷やされ、まだ冬の残る冷たい地表面上で、その温度差によって霧を発生させているのである。だから、市街地で濃いキリが発生する日には、その日はほぼ間違いなく晴天である。

そして、市街地でのそれは、やはりキリなのであって、カスミとかモヤではない。短時間のうちに完全に消えてなくなるキリである。要するに、水分の供給源が大気に限られている、ということなのである。地上からの水分の供給がない、ということなのである。

そして、この地上からの水分を、常時、供給し続けているのが、郊外の野原やたんぼ、川辺や、山々の谷あいなのである。そしてこれが、春のカスミの世界なのである。霧ではなくてカスミとモヤなのである。

だからこの季節の田舎の郊外では、春になるといつもカスミがかかって、かすんで見えるのである。これが、日本列島の春の情景なのである。光も、水も、なにもかもが穏やかで優しいのどかな春の日の情景なのである。

光が限りなく拡散していって、どこからでも、だれに対しても、優しく包んでいる。空気も水も、なにもかもがそうなのである。白いかすみのなかに、世界が映し出され、新たな生命が開き、あふれてきて、世界を覆い尽くし始めるのである。

戻る。             続く。

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