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自分のことを、自分で生きるということを、やめてしまうのである。それがもっともラクで、気ままで、もっとも自分が思い通りになる生き方なのである。流されるのみ。その場その場を取り繕っているだけ。場合によっては自分が死ぬも生きるもどうでもよく、その瞬間だけが楽しければ、それがもっとも良いことのように思えて来る。感覚と感情のおもむくまま、自分たちの情緒の世界を生きている。 だから、オキテとか、ケジメとか、シキタリなどは、有って無きがごとしである。なぜなら、それらはすべて自分の外からやって来るものであり、自分は何も考えずに、ただ従うだけだからである。自分のことなのに、自分のことで無くなっているのである。 何も考えずに、ただ目上(めうえ)の者に従うというのは、自分で自分を放棄しているのであって、つまり、自分で何も責任を取らない、何も悩まない、苦しまない、ということである。たとえ、肉体に暴力を受けるとしても、自分はなにも考えないから、生理的に痛みを感じても、精神的な痛みを感じることはない。その方がはるかに楽だし、あきらめもつくし、納得もしやすい。 |
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