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2、シアワセ。



自分自身に、その必要があるのだろうか? その覚悟はあるのか。どうしてもそうしなければならない、どうにもならない切迫した事情でもあるのだろうか。まして、本人にその気があるのか。また、それが現実に行える可能性がはたしてあるのだろうか。

……、などといったそんなことは、まったくつまらない、本人にしてみればどうでもよいことなのである。けわしい現実というものを相手にせずに、自己の内閉的な空想と幻想の世界に安住したままのほうが、よっぽど幸せなのである。現実から目をそらして、覚めることのない眠ったままの世界の方がよっぽど「幸せ」ではないか。

あるいは、現実から切断されたところで、自己の、自虐する肉体の責め苦の、ひん死の状態の中で、自己を見つめ続けるのが、はるかに確かで納得もできるし、何か意味のあることではないか。もしかすると、薄れゆく意識のなかで、永遠が見えるかも知れないのである。

このような、直接的で、感覚的で、肉体的で、
本来の自分の、自分だけの、自分のためだけの世界。それだけが真実の、本当の自分ではないか。


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