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5、切断された精神。



すべては、自分が求めてそうなったものだ。
他人がとやかく言うことも、言えることでもない。自分のことは自分で責任を取る以外にないのである。にもかかわらず、自分のことを他人が責任を取ってくれるものと勘違いしている。数百数千年、ずっとそうやって飼いならされペット化・奴隷化されてしまっているのである。ここでも日本社会の根本原理が貫かれている。「権威に対する盲目的従順性と、集団的協調性」がそれである。

自己の同一性といったものが、どこかで切断されている。というよりも、それ以前に、自己意識というのがいまだ確立されず、個人というのが自立することなく、自己の精神というのが集団の中で区別されることなく、みごとになじんで溶けて無くなっている。それに気づかず、気づく必要もなく、気づいてもならず、気づくこともないように、社会のシステム全体が仕組まれ、プログラムされている。あー、やはり「島国」なのか! 閉じた世界なのか・・・。

ことばの論理で仕組まれた観念の世界を、現実の世界と勘違いしている。このような世界では、自らが現実を知ることはない。現実はいつも他者=偉い人から、自分の精神へと入り込んでくる。自意識というものが、いつも他人からの借り物であり続け、自分自身とは別のものである、ということに気づくことがない。イヤ、気づいてはならない、そうした世界なのである。

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