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しろ色。それは水の色である。それも気体化したカスミ(水蒸気)の色である。 それは、夏の高温下で飽和され尽された、ただ蒸し熱いというだけの、厚かましく、おせっかいで、ふてぶてしく、自分勝手で、それでいて、ふやけて、だらけた、そんな夏の「黄色」ではない。 あるいは冬のような、透明で、閉じて、沈んで、ひきこもったような、そんな「青色」でもない。 かといって、うすい「灰色」混じりの秋の風景のような、まるで祭りの後のような、暮れなずむ夕日に闇が迫るような、そんな内省と追憶の世界でもない。 冬の閉じた世界がゆるんできて、そして開いて、そこから何かが始まり、何かが生まれ出る、そんな予感と期待が交錯する、そんな春の空気の「色」である。それが白いろなのである。祈り、願い、あこがれ、夢見るような色である。そしてまさしく、感覚的にもそうなのである。意識を無視して、自分の肉体がそれを直接感じているし、また求めてもいる。 |