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5、始まり。



どこまでも、だれに対しても、優しく穏やかで暖かい春の陽気。それでいて、まだ冷たさの残るひんやりした、身を引き締めるような空気の肌ざわり。それは何かを暗示し、予感させるものであり、自分をなんらかの(それが何であるかはどうでもよい)、そんな何らかの行動へと誘い、求め、導くものなのである。

早春の、恋をささやく小鳥の鳴き声がそうだし、野原を彩る草花の色がそうだし、山々を覆う新緑の淡くて半透明の色が、そして、何もかもがそうなのである。

春先の景色といったものが、その非常に薄い水蒸気のカスミによっておおいつくされ、その白いカスミのなかから、なにかが現れ、映し出されている。生命がめざめ、再生し、生まれ出ようとしている。穏やかな日差しと豊かな水。舞台はととのい、方向は定まり、そして物語はすでに始まっている。それは、もはや予感でも予徴でもなく、すでに始まているのである。

白いカスミのなかで、それが映し出されている。カスミ(霞)が、自分と景色の間にあって、自分の精神と現実をへだてて区切っている。そして、このカスミを通して自分が意識され、自分にめざめ、そして、自分で自分を見ている。カスミのなかで現れては消えてゆく遠くの山々の情景とは、そうした自分自身の心の中の風景なのである。だから不可解で不思議でもあるし、なぜか、異和感というか、非現実というか、別世界の異界のように思えて来るのである。

戻る。             続く。

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