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寒い冬至から春へと向かう太陽は、恵みと農耕のシンボルであり、その暖かい日差しは再生と誕生の象徴である。これは象徴としての「光」であって、その中にみずからの精神のあり方を見ているのである。暖かく優しげな日差しの中からめざめてゆく、自分自身の精神の世界を見ているのである。 だから冬至の太陽の光は、物理的な暖かさ明るさではあるが、それよりも象徴的な意味の方が大きい。暖かさという感覚の感じ方が、それを無視して精神的な暖かさ、優しさ、おだやかさとなって迫ってくるのである。 だから、現実にあるもの、見えているものは、あくまでもキッカケに過ぎないのである。それをどう理解し意味づけるかといったことは、人間の側にあるのである。それを見て触れて感じるといった経験といったものが、蓄積された記憶によって成り立っていて、それが無意識の世界のなかにあって、それを象徴するものとして、暖かさとか優しさとして感じられてくるのである。 |