index < 日誌 < ae <「冬至」p2/


 
2、行為。



この場合、つまり、冬至の太陽というのは、そうした生命の誕生と再生、そしてそれを導き、誘い、求め、予感させるものとして、その象徴として、人々に感じられてくるのである。そうした考えからすると、自然現象と精神現象は密接に関係しているし、むしろその接触面、境界部分においては、どちらがどれと厳密に区別できるようなものではなく、混乱し、入り乱れて錯綜している。

このような精神の裂け目、軋(きし)みとか、むき出しの精神と自然との接触面。壊れやすく、常に変化し続ける、現れては消えてゆくとらえどころのない、むき出しの精神の裂け目といったもの。そこから得体の知れなかったものが、なにかのイメージ、あるいはその象徴として映し出され、そして現れてくる。

だから、冬至の太陽が誕生とめぐみの神の現れとも思えても来るし、そして、その太陽がもたらす数々の恵みが、神話のなかの神々の行為や業績として言い伝えられてゆく。


戻る。             履歴へ

index < 日誌 < ae <「冬至」p2/